新しい扉を開く時。
事務方スタッフのよしみは当団体の里親さんでもあります。
昨年、よしみの実家でも猫を永年預かりしてくださいました。
《エル》です。
ただ、残念なことに一緒に過ごせた時間は短すぎました…
以下《里親の会》へよしみの代理投稿です。
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昨年9月8日に私の実家で家族の一員となった砂川80出身の「エル」が1月24日午前6:18頃虹の橋を渡りました。
私は実家に向かっている途中で看取る事ができませんでしたが、家族5人がエルを囲み名前を呼んで撫でながら看取ったとの事でした。
元々腎臓が悪く、いつどうなるか分からない状態でしたが私の「ハンディのある子こそ家で過ごさせたい」という気持ちを理解してくれて迎えてくれました。
12月に入って腎臓の数値が急に悪くなり、1月からは自宅での点滴もしましたが回復の見込みがみられなかったので中止し、看取ると決めて2週間でした。
私が着いた時には母がエルの体を拭いている所で、とても綺麗で安らかな顔でした。
まだ体が温かく「頑張ったね。偉かったね。大好きだよ」と柔らかな肉球を握り伝えました。
砂川の現場には何度も通っているのでスタッフとしては心から
「暖かいお家で、家族に囲まれて逝けて良かったね」
と思いますが家族としては
「どんなに病院に通っても愛情を注いでも逝ってしまうのね」
とやりきれなく、とても悲しく寂しいです。
もう少し一緒にいたかったけど病気で苦しかったと思うのでこれで良かったと家族みんなで思う事にしました。
「砂川で過ごした時間の方が長いかもしれないけどエルはうちの子だからね」
母が1/22、飲まず食わずになって4日目のエルにそう言っていました。
実はエルの体調が悪くなった頃、相談者から「残りの猫たちを早く引き取って」と一方的な電話がありました。
その時はやり過ごせたのですが、次の日実家ですっかり細くなったエルを見て怒りなのか悲しみなのか憎しみなのか一気に色んな黒い感情が湧き上がり涙が止まりませんでした。
「劣悪な多頭飼育の部屋で小さな体で腎臓が悪いのに何回も子供を産んで辛かっただろうな」と思うと、罪の無い小さな命が人間の勝手で翻弄されるのをスタッフとして最前線で相談者と関わり続ける事の辛さを改めて痛感しました。
しかし、エルが多くの方の愛情と努力で守られた命だった事もスタッフとして重々理解しています。
スタッフの皆さん、ボランティアの皆さん、支援物資やご寄付を下さった沢山の心優しい皆さんのおかげで砂川から札幌へと保護ができ、約4ヵ月半でしたが私たち家族もエルも幸せに過ごせました。
本当に宝物の様にキラキラとした楽しい日々でした。
皆さん本当にありがとうございました。
【適正飼育】が浸透し、不幸な猫が減り幸せな猫が増えて人間と幸せに共存できる日が 早く来ますように。
エル、大好きよ
愛おしいよ
ご家族の心情がひしひしと伝わってきて、
胸を熱くしました。
現場を体感したからこそのよしみの気持ちが切ないほど伝わってきました。
砂川の飼い主には未だに猫を引き出す度にお別れの儀式をさせられます。
その度にさすがの私も、はらわたが煮えくりかえります。
あんなの飼い主じゃない!!!
声にならない心の声。。。
ほんのひと時だったかもしれませんが、
本当の家族に迎えられたエルちゃん。
それだけでありがたく心から感謝の気持ちでいっぱいです。
悲しみを乗り越えてこの度
オタモイの案件で一時預かりをしてくれていた《ひしぎく》を迎えてくれることになりました。
保護された時はこんな悲惨な状態でした。
こちらも無責任な飼い主の多頭飼育崩壊案件です。
本当に悲惨な状況でした。
いっぱい甘えてね。
スタッフのよしみとお姉さんです。
哀しみに暮れる日々を乗り越えて
新しい扉を開いてくれたことが嬉しいのです。
楽しく過ごして欲しいと心から願います。