支え続けてくれた大きな力
ツキネコ北海道の活動は今年で15周年を迎えます。
代表でもある私は気がつけば65才になりました。
本当にあっという間で、無我夢中で走り続けてきました。
18才で北海道十勝管内の高校を卒業して、札幌の美容学校に入学。生活が苦しい実家からは生活費は自分で稼ぐ様に言われてバイトしながらの学生生活でした。
母親との関係性は良いとは言えず、まともな会話をしたことが無く親からの教育と言えば
炊事や家事だけだった様に思います。
いつも怒鳴られたり叩かれたりするので、とにかく家では小さくなって気配を消していました。
*今の私からは想像できないかと思います😓
無学で、無知な私は社会に出てから世間の荒波に飲み込まれ、騙されたりしたことも数多くあったのです。
ただ、振り返ってみてもそれが辛かったかと聞かれるとそうではありません。
当時はバブル景気の到来で、都会はとにかく刺激的で楽しく、母親から解放された喜びの方が優っていました。
悪い大人もいれば、他人でも面倒見てくれる大人もいたのです。
後に美容室経営者となりお客様から家族の様に可愛がって頂き、礼節や言葉遣いなど
社会性を教わってきたのです。
今、皆様がご存知の通りNPO法人ツキネコ北海道の代表理事として、大きく成長させて頂きました。
その間にレディーフォーさんのクラウドファンディングに三度ほど挑戦してお陰様で全て成立させて頂きました。
それはツキネコにとっても私自身にとっても大きな出来事でその感動は言葉では表せないほどでした。
今回、クラウドファンディングに挑戦する一般社団法人《おちゃのまSO-縁》の代表矢後真由美を紹介させてください。
矢後との出会いは40年前に遡ります。
私は結婚を機に釧路市に転勤して、美容師として25才と19才で出会いました。

数年後私は札幌に戻ることになります。
その当時大型チェーン店だったその美容室が突然倒産してしまい途方にくれましたが、
お陰様で店長として働いていた店舗が売り上げを伸ばして繁盛店となっていました。
慌てて釧路で2店舗の店長をしていた矢後を呼び寄せて、金策に走り回りどうにか開店に漕ぎ着けとにかく必死で働き続けたのです。


《美容室ノーマ・ジーン》は札幌の円山地区で2店舗を展開して29年間の歴史に幕をおろしました。
その際、美容室を取り仕切ってくれていた店長の矢後に経営権を移譲して今に至ります。

*さよならパーティーに集まってくれた元スタッフ達
私は40代に入り二度の離婚の後、軽い鬱状態に入ってしまい何をする気力も無くなっていました、、、
今考えると燃え尽き症候群的な要素があった様におもいます。
美容師を続けることが辛く2年間ほど引きこもり状態で、仕事に行くことがとても憂鬱でした。
その時に見兼ねた矢後が『もう美容師は引退して休養したら?』と促してくれたのです。
その後、少しづつ元気を取り戻しエステ店の経営や【BAR月猫】の経営などを始めましたが長くは続きませんでした。
保護猫のことに関わり始めたのはその頃でした。
紆余曲折ありBARの後に札幌では初の小さな小さな保護猫カフェをオープン。
それが《ツキネコカフェ》です。

15坪の旧店舗

コビッツさんが半年以上かけて、仕事が終わってからコツコツと作り上げてくれた幻の店舗
*立ち退きで2年で営業を終了😹

田中政五郎

ヤギ兄さん

ダミアン

ぴのこ

脳性麻痺の天使猫ネネ

サブスタッフ ぎんどろ

旧店舗盧2階でくつろぐ猫達
気がつけばいつの間にかNPO団体を旗揚げすることになります。
順調に見えた保護活動は、日を追うごとに医療費との戦いとなっていきました。
札幌で初めての保護猫カフェの開店、初めての猫の相談窓口の開設などもあり、
どんどんと保護も依頼が舞い込んできました。この後活動費の捻出の難しさに苦慮することになります。
なんといっても私自身が寄付を募ることが苦手で、NPOの理念などもわからずに動いていたのです。
給料や医療費の赤字が続き、それを解消することは当時のツキネコでは全くできませんでした。
美容室は矢後店長やスタッフ達のお陰で潤沢に営業できていたこともあり、私の給料さえも美容室から捻出していました。
それは、それは長い間続くことになります、、、、
申し訳なさはあるものの、保護活動にどっぷり肩まで使ってどんどん泥沼に入り込んでいく様でした。
ただ、矢後店長は一度も文句も言うことはなく、『好きなことしたらいいよ』と言ってくれるのでした。
私達、二人の間柄は不思議な関係性でもありました。
お互い親はいるものの、社会性を身につけたのは仕事からでした。
仕事を通して周りの大人から学びを得て、育ててもらった様に思います。
勿論失敗もたくさん、たくさんありましたが、親というより他人様が助けてくれてくれたのです。
特に美容室のお客様は地域柄も良かった為に3世代に渡り、私たちの美容室を愛し育ててもらいました。
いよいよ、それぞれのスタッフも独立することとなり、29年の美容室の歴史に幕を閉じることになりました。
永年頑張ってくれたこのスタッフ達に、私は退職金も支払うことはできませんでした。
本当に不甲斐なく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
それでも良いお客様に恵まれたことをみんな喜んでくれて独立していき、それぞれ活躍してくれています。
矢後店長も桑園地区にとても素晴らしい物件を見つけ、引き継いでくれた美容室をどうにか再オープンすることができました。
もうツキネコにつぎ込んでしまいお金はすっからかんでしたから、二人の貯金を切り崩してギリギリのスタートでした。
店長が17年前から念願だった児童養護施設にボランティアカットに行く様になり、関わりがどんどん増えていく様になりました。『施設の退所後の困りごとをどうにかしてあげたい』と奔走する様になりました。
ただ、美容室を経営しながらの活動は目まぐるしいものがありました。
ずーーーっと金銭的に負担をかけてしまったことをいつか、私が手助けしなければと心の中で思っていました。。。
今、ツキネコ北海道はお陰様で大きく成長して、ソーシャルビジネスを学び赤字から脱却して
売り上げ目標を達成できるほどになりました。
施設を購入したり、スタッフやボランティアさんもたくさん増えました。
やっと少しづつ矢後の活動もサポートできる様になってきたのです。
今回のクラファンは、長い間支えてくれた矢後にできる恩返しの形です。
以前の活動ですと、守秘義務等からなかなか入り込みづらく見守ることしかできませんでした。
駄菓子屋ですと一般の私達も微力ですがお手伝いできそうです。
お互い赤の他人でしたが、今ではお互いなくてはならない存在です。
家族がいなくても、周りに助けてくれる人たちがいることを知ってほしい。
それを孤立してしまっている、大人にも子供にも伝えてあげたいです。
『昭和の駄菓子屋を復活させて子供の孤独と孤立を防ぎたい!』
ぜひこの挑戦を皆様にも後押しして頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します!!

矢後の愛猫だった王子とレオは虹の橋へ。
2匹とも保護猫でした。
長毛の《とよひらゆたか》はツキネコ案件で、
豊平公園でキャリーバックごと捨てられていた猫でした。
今も元気で過ごしています。
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クラウドファンディング
『誰でも集まれる駄菓子屋「あいる堂」を作りたい!!』
公開されました!!
https://readyfor.jp/projects/airudou
どうぞよろしくお願いいたします!
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